
ナポレオン・ヒル博士は生涯に多くの出版物・プログラムを世に送り出しています。そのあゆみを振り返ってみましょう。
21世紀を飾る新たな飛躍。溢れるPMAスピリット!
1908年、当時25歳で新聞記者であったナポレオン・ヒルは、鉄鋼王として著名なアンドリュー・カーネギー※1にインタビューする機会を得ました。その取材の中でヒルの能力を見抜いたカーネギーは三日三晩に渡って熱弁を振るい、最後に次のような提案を持ちかけました。
「すでに私の培った成功の秘訣を君に伝えたが、この私の秘訣を裏付けるために、さらに万人に共通した成功の哲学を発見する事業を引き受けるつもりはないかね。それは今後20年間におよぶであろうが、金銭的援助は一切無しでだ。ただ世界的に傑出した多くの成功者を君に紹介する。答えはイエスかノーでよい」
一切の否定的な考えを自分の中から捨て去り、ヒルは偉大な決断をしました。
それに要した時間はわずかに29秒でした。
ヒルは事業の真の意義と重要性を瞬時に理解し、多くの人々を繁栄と心の平和に導くチャンスをつかんだのです。
カーネギーの志を受けてヒルが着手した事業は、想像を絶する規模で展開されました。20年の歳月と、500余名の著名な成功者たちの協力を得て、1928年、『ナポレオン・ヒル・プログラム』は完成しました。その協力者には、ヘンリー・フォードをはじめ、トーマス・エジスン、ライト兄弟、グラハム・ベルなどのそうそうたる成功者が名を連ねています。
※1 アンドリュー・カーネギー
世界の鉄鋼王と呼ばれた彼は、まさに世界一の大富豪であった。
1848年に移民として、スコットランドからアメリカに渡る。渡米後、父親が事業に失敗したために、13歳のときから、ボイラー・マンや電信会社のメッセンジャー・ボーイなどをして働く。しかしそうした境遇の中にあって、自ら打ち立てた『成功の黄金律』に従い、向上心に燃え、与えられた以上の仕事を率先して行なった。
そして、その積極性が上司に認められ、鉄道会社の管理局長なども務めるが、生涯における大目標として鉄鋼業に着目する。種々の事業に関係しながら、鉄鋼事業を展開。自らの持つアイデアと決断力を十二分に駆使することで事業を拡大し、世界の鉄鋼王として揺るぎない地位を占めるに至る。1901年の鉄鋼大合同により、巨万の富を得た。
以降、自らを世界一の大富豪にした『成功の黄金律』を確固とした体系的なものにし、世界中のどの人々にも活用しうるよう『長期に渡る裏付けと研究』を行うにふさわしい青年を探すため、多くの若者と面接を重ねた。そしてようやく出会ったナポレオン・ヒルにその夢を委託(1908年)する。
また、晩年は慈善事業に力を注いだカーネギーは、カーネギー財団を設立した他、カーネギー・ホール等を建設。さらに2,811もの公共図書館や、多くの公共施設を自己資金のなかから寄付をして作り上げ、国際社会に大きく貢献した。